広島電鉄


5100形

5000形

3950形

3900形

3700形

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3000形

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800形

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広島電鉄は大正元年に運用を開始。開始時の名前は広島電気軌道という名前だったそうです。開業者は大阪の実業家で有り、大林組社長の大林芳五郎氏が作ったとされています。その後どんどんと路線を増やし太平洋戦争時代に突入した昭和17年に今の会社名である「広島電鉄」になりました。しかし、昭和20年8月6日午前8時15分の原爆(リトルボーイ)によって広島市内は壊滅的ダメージを受け、市電もほとんどが破損、全焼などのダメージを受けた。戦争が終わり復興が始まると徐々に路線も回復。最後の白島線が復旧したのは昭和27年の事だった。その後、高度成長期になりモータリゼーションが始まり車が多くなる。一時車が軌道敷きに入れるという制度を行った結果、電車に乗る人が少なくなり倒産の危機まで追いやったが、軌道敷き通行禁止を行ってすぐにお客さんは戻ってきた。他の街では市電が邪魔で廃止の事態が起きる中、広島電鉄は廃止はしなかった。むしろ電車が足りなくなり、相次ぐ市電廃止都市から電車を購入していった。京都・大阪・神戸・西鉄福岡と回収してきた。その一方で宮島線を走る電車を快適、省エネにしようと昭和50年代に軽快電車を走らせた。その後いろいろな軽快電車を製作、平成11年には5000形グリーン・ムーバーを導入し低床化、静音設計、快適が出来、平成18年には後続の5100形グリーン・ムーバー・マックスを導入した。一方、外国の電車も入ってきた、昭和56年にドイツ・ドルトムント市より購入した70形、平成2年にドイツ・ハノーバー市から200形を購入した。現在、1系統(広島駅〜紙屋町東〜広電本社前〜広島港(宇品))・2系統(広島駅〜紙屋町〜広電西広島(己斐)〜広電宮島口)・3系統(広電西広島(己斐)〜紙屋町西〜広電本社前)・5系統(広島駅〜比治山下〜広島港(宇品))・6系統(広島駅〜紙屋町〜江波)・7系統(横川〜紙屋町西〜広電本社前)・8系統(江波〜土橋〜横川)・9系統(八丁堀〜白島)と存在、別に回送や途中止まり(日赤病院前)などは0系統として表示される。